文:平嶋 彰彦
撮影を依頼する人には、願望や期待がある。それを満足させるのがプロ写真家の仕事で、腕の見せどころは「事実の証明」というよりもむしろ「夢の実現」にある。
私は3LDKのマンションに住んでいる。何もない空間が好きだから、なるべく物を置いたり、飾ったりしないようにしている。それでも長く住んでいると、物が少しずつ増えて、空きが次第に埋まっていく。
装飾らしい装飾といえるのは、引っ越し祝いに知人たちからもらった版画を玄関の壁に掛けているのと、居間の出窓に鉢植えのランと観葉植物を置いているぐらいだが、じっくり見渡せばそれらしきものはもう少しある。
居間の壁には手作りのカレンダーを掛けているし、DVDの整理棚にはキャビネ判と2Lサイズの写真を額に入れて飾っている。カレンダーは、これまでも繰り返し述べたように、嫁いだ娘の手作りで、月々の写真は3歳になる孫の1年前のスナップである。キャビネの写真は私と妻の記念写真で、もう一枚は5年前に亡くした猫の遺影である。
猫の遺影については次回に書くことにするが、私と妻の写真は、2000年の秋に大菩薩峠でセルフタイマーを使って撮ったものである。富士山を背景に2人が切り立った岩場に並んで腰かけている。カメラ目線だと逆光になるので、斜め方向の山々を遠望しているように演出したら、偶然のいたずらで、珍しく仲睦まじそうに撮れていた。
今のマンションに引っ越したばかりで、荷物を片づけていたら、誰からもらったかもわからない額縁がいくつも出てきた。捨ててしまうのも惜しいので、冗談半分にその写真を入れて飾ってみると、部屋の雰囲気が引き立つような気がした。いつもなら口うるさい妻も何ともいわない。まあいいかということで、ずっとそのままにしている。
何かといええば、すぐに記念写真を撮るのが、私たちの生活習慣になっている。しかしながら、シャッターを押すだけで誰でも写真を写せる近ごろと違って、1950年代までは専門的な技術がなければ写真がうまく写せなかったし、よほど余裕のある家でないとカメラを買うことができなかった。写真を撮るとなれば、もっぱら町の写真屋さんに頼むしかなかったのだが、それはそれでけっこうな散財を覚悟する必要があった。
ふりかえってみれば、私の家には写真アルバムというものがなかった。アルバムどころか、小学校の入学式以前の私の写真は一枚も残っていない。そのころはどん底の貧乏暮らしで、子どもの七五三を祝いうことさえできなかったのである。
それはともかく、庶民の間では、祝いごとのような特別なとき以外に写真を撮ることは少なく、「記念写真」という言葉も、今よりはずっと重みがあったわけで、文字通りぜひとも思い出に残したいという想いが込められていた。過ぎ去った時代の写真に私たちが心をうたれるのも、今とくらべて昔が単になつかしいというだけでなく、それを残した人たちの切実な想いがおのずと伝わってくるからではないかと思う。
誰もが写真を撮れるようになった現在でも、結婚式の記念写真だけは依然として専門の写真スタジオに任せるのが決り事のようになっている。大がかりな照明装置や撮影機材が必要だということもあるが、もう1つの理由は、結婚式にふさわしいイメージの演出がむつかしく、その道の専門家でないときちんとこなしきれないからである。
撮影を依頼する人には、こんなイメージに撮って欲しいという願望や期待がある。それを満足させるのがプロ写真家の仕事で、腕の見せどころは事実の証明というよりも、むしろ夢の実現にある。結婚式でいええば、伝統的な美意識を理解し、最近の流行にも目配りする。それを踏まえた上で、依頼者の希望を汲みとる技術があるから、優雅で格調高いイメージを演出することができるのである。
町を歩いていると、数は少なくなったが、写真スタジオをあちこちで見かける。たいていは大きなショーウィンドウがあって、お宮参りの赤ちゃんや七五三・入学式の子どもの写真などを見本に掲げている。覗いてみると、ひと目で何のお祝いかわかるような小物を脇に置いたり、背景にも階調や模様をつけたりして、それらしい雰囲気を工夫している。祝い事にそれぞれ定型の衣装や小道具があるように、写真の撮り方にもそれぞれ一定の形式があることにも感心させられる。デジタルカメラ一全盛の時代になって、誰もが見た目にきれいな写真を簡単に写すことはできても、夢を実現する写真となると一筋縄ではいかないことがよくわかる。
私は人生や節目に写真スタジオのお世話になるのを習わしにする家庭はうらやましいと思っている。最近は写真スタジオもデジタルカメラを使っているところが多くなった。その場で画像を選んでプリントを注文するシステムらしく、仕上がりを見てがっかりすることもなさそうだ。撮影料金も目を丸くしないですむ金額のところが増えている。
証明書につける写真を除けば、私はこれまで写真スタジオを利用したとことがない。しかし、来年の秋にある孫の七五三の祝いには、家族そろって写真スタジオに行って記念写真を撮るのも悪くないと考えている。あくまでも娘夫婦の考え次第になるが、「ハレの日」には「ハレの舞台装置」の方が、子どもの成長を祝う家族の気持ちも盛り上がると思うからである。
(筆者プロフィール)
平嶋 彰彦
写真家、編集者。元毎日新聞社出版写真部長、ビジュアル編集室長。『宮本常一写真・日記集成』上下巻別巻1、『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻(いずれも毎日新聞社)の編集を担当。共著に『昭和二十年東京地図』(筑摩書房)『町の履歴書・神田を歩く』(毎日新聞社)などがある。
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