文:平嶋 彰彦
自分が死んでも、家族が困らないようにしておく。そういう意味からは、遺影もまた元気なうちに自分で用意しておくのが一番であると思う。
葬送の儀式はかんたんにしたいというのが最近の傾向らしい。遺体は病院からいきなり斎場にむかい、自宅には戻らない。通夜や告別式の参列者も家族だけの場合が少なくない。そうなってしまった背景には、人間関係が希薄になった無縁社会とよばれる時代状況が影を落としている。だからいっても、人が社会生活を営むかぎり、葬式をなくしていいということにはならない。
葬式には遺影が必要になる。遺影を飾るのは、写真が普及した近代になってからの新しい風習だと思う。しかし、現在では、曲がりなりにも葬式を出すとなれば、死者の遺影は不可欠である。それがなかったらどんなに淋しいことになるか見当がつかない。遺影を葬式の仏壇に飾り、終わった後は自宅の部屋に飾ることは、日本人の常識としてすっかり定着しているからである。
父親が死んだときに、遺影の用意ができていなくて、あわてた覚えがある。まだ在職中のことで、遺影の写真選びはしてあったが、そのときがきたら会社の写真暗室でプリントすればいいと考え、フィルムを職場のロッカーに置いたままにしてあった。だが、病院から父親の病状が急変した連絡があったのは、夜中の1時過ぎで、会社に立寄ったりする時間的な余裕はなかった。父の遺体を病院から実家に運び、通夜と葬式をする段になって、どうしようかと思ったが、さいわい私的な撮影フィルムの一部分を実家に送っていた。その中からそれらしき表情の写真を捜し出し、町の写真館でプリント・修正してもらい、なんとか間に合わせることが出来た。
自分の手で葬式をだすのは初めてだった。いくつか失態もあったが、死とどのように向き合えばいいかを考える貴重な体験になった。通夜や告別式の日取りは火葬場の空き具合に関係するが、通夜までに遺族がやらなければならないことは、想像する以上にたくさんある。遺影はプリントの形で事前に用意しておくにこしたことはないと思う。
私の友人の一人は郷里に帰ったとき、少なくとも年に一度は、母親の写真を8×10の大型カメラで撮っている。母親には遺影の用意だと話しているそうだから、母親の方も納得して、撮影に応じているに違いない。恒例になっているのであれば、この写真が好きだとかこれは嫌いだとかいう、母親の意見も写真選びに反映されることになる。
遺影は死者の形身の一つで、故人を思い出す手がかりになるものだから、写真選びはおろそかにするわけにいかない。毎日しかも長い年月にわたって、残された家族は故人があたかも生きているごとく、遺影と向き合って暮らすことになる。悲しそうな表情はつらいし、不機嫌そうな表情もいやになる。穏やかで幸せそうな表情でないと供養する側も落ちつかないものだ。
遺影を自分で用意する方法もある。友人の一人、といっても私より二回り近く年上の大先輩だが、この人はなんの前触れもなく急死した。その1カ月前に顔をあわせたときは、隠し芸の奇術を演じるぐらいだったから、訃報を聞いて驚いた。葬儀に行ってまた驚かされた。笑顔の遺影が見事だったからである。奥さんに聞くと、亡くなるわずか3カ月前、自分の遺影をつくっておくのだといって、知り合いの写真スタジオで撮ってもらったのだという。不動産鑑定士の資格をもち、遺産相続の実用書を書いていたことを思い出した。還暦をすぎたら、死んだ場合の用意をしておくべきだ、というのが日ごろの持論であった。
死の用意を徹底すれば、元気なうちに自分で自分の葬式まですませてしまう、いわゆる生前葬の考え方にいきつく。仏教の方では逆修(ぎゃくしゅ)と呼ばれる儀式がある。いったん死んだことにして、それまでの罪やけがれを清算し、もう一度生まれ代わったことにするのである。あの世に行ってしまうではなく、この世に生れ代わるわけだが、そのときに戒名をもらうと、その後の人生は健康で長生きする功徳を得られるのだという。
死は旅立ちにたとえられる。永遠に留守をすること、それが死である。いったん死んだことにするというのは、実生活の面でいえば、家業や財産を子どもに譲って自分は引退することである。元気なうちに自分が手がけた事業を清算しておけば、とつぜん病気や事故で自分がいなくなっても、残された家族が困ることはない。そして信仰生活では、それまでの先祖を供養する立場から、供養される立場へ身を入れ代えるのである。日本の庶民社会には、そのような人生を理想と考えてきた伝統がある。そういう意味からすれば、遺影もまた元気なうちに自分で用意しておくのが一番であると思う。
(筆者プロフィール)
平嶋 彰彦
写真家、編集者。元毎日新聞社出版写真部長、ビジュアル編集室長。『宮本常一写真・日記集成』上下巻別巻1、『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻(いずれも毎日新聞社)の編集を担当。共著に『昭和二十年東京地図』(筑摩書房)『町の履歴書・神田を歩く』(毎日新聞社)などがある。
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