思い出づくり研究所レポート

思い出を残すために -写真から家族の歴史が見えてくる-

カメラは恋人と同じようなものだ

文:平嶋 彰彦

これしかないと思って選んだつもりの最高級のカメラでも、半年も使っていると気に入らない欠点がいくつも見つかる。

 会社勤めをやめたら、カメラを持って全国を貧乏旅行するのが夢だった。しかし、いざその時になってみると、時間的にも経済的にも、「遠くへ行きたい」どころではなくなっていた。といって、まるっきり諦めるというのも淋しい。そこで、行き先を近場の東京にしぼり、「小さな旅」をすることにした。この8月で2年がたち、私は65歳をむかえる。
町歩きのカメラは、フルサイズのデジタル一眼レフ。交換レンズは24mm、45mmのシフトレンズと70-200mmズームの3本。それにカーボンの小型三脚を持つ。

 私は新聞と雑誌の現場カメラマンを1969年から24年つとめた。現役時代は35mm一眼レフカメラの全盛期とほぼ重なっている。機材は会社から支給されたが、自分でもボディ2台と24mmから200mmまでレンズ5本を買いそろえた。
12年前に、そのボディとレンズをそっくり買い変えた。写真職場を離れてからは、町を歩いて建築物を撮ることが多くなった。すると画像の傾きや歪みが気になって仕方ない。あおりのきくシフトレンズが欲しくなったのである。

 フィルムへの愛着は捨てがたいのだが、2年前に退職後のことを考えて、撮影機材をデジタルシステムに1本化することにした。デジタルの利点はいろいろある。私にとって一番の魅力は、中判のフィルムカメラと見まがう精細な描写力である。
今の時代、どんなカメラでもしっかり写る。私の娘は3歳になる子どもを携帯電話のカメラで写し、何かといえば画像をメールで送ってくる。そればかりでなく、カレンダーやフォトアルバムにまとめ、両方の親元に送るのである。娘は写真が趣味でないのだが、母親ならではの生きいきした子どもの表情がうまく撮れている。
だが、もう1年か2年して、例えば幼稚園の運動会となれば携帯電話のカメラでは満足できなくなるはずだ。その時はどうするのだろうか。カメラやレンズとの試行錯誤のつきあいがはじまるのもそこからだ。何を写すかの目的にしたがって、選ぶべきカメラのタイプも機種も違ってくる。
私にとってカメラとのつきあいは男女の恋愛感情にどこか似ている。これしかないと思って選んだつもりの最高級のカメラでも、半年も使っていると気に入らない欠点がいくつも見つかる。今使っている  カメラもレンズもそれは同じだ。いまさら文句をいってもはじまらないから、それを承知で撮り方の工夫をすることになる。すると欠点が嫌でなくなり、そういう個性だと思えてくるのが不思議である。
カメラやレンズの良さや悪さは、マニュアルを読むだけや、とおりいっぺんの試し撮りをするだけでは、本当のところはなかなかわかりにくい。大切なのは徹底して使いこなすことではないかと私は思っている。つきあっているうちに、かならず信頼関係のようなものが生まれてくる。

(筆者プロフィール)
平嶋 彰彦
写真家、編集者。元毎日新聞社出版写真部長、ビジュアル編集室長。『宮本常一写真・日記集成』上下巻別巻1、『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻(いずれも毎日新聞社)の編集を担当。共著に『昭和二十年東京地図』(筑摩書房)『町の履歴書・神田を歩く』(毎日新聞社)などがある。