思い出づくり研究所レポート

思い出を残すために -写真から家族の歴史が見えてくる-

飼い猫の死をめぐって

文:平嶋 彰彦

ペットは、家族の一人と変わらない、かけがえのない存在である。ペットがいることで、家族のなかに会話が生まれ、夫婦や親子の親密な関係が保たれる。

2006年1月に飼い猫ビバスを交通事故で失った。その精神的打撃は2カ月後に亡くなった父親の死よりもずっと大きかった。父親の死は、あらかじめ覚悟ができていたからである。飼い犬や飼い猫の死は、家族の一人を失うのと変わらない。だが、この感覚は動物を飼った者でないとなかなか理解できない。

その日の夕方、妻から知らせを受けた。ちょうど800ページに及ぶ上下二巻本の責了中だった。2時間半ほどして仕事を片づけるとまっすぐ家に帰った。遺体を抱きしめると、身体はまだ温かった。「ビバスがいなくなった。どこへいったわけでもない。だがもう戻ってはこない」。そう思うと、涙があふれてきた。遅れて帰ってきた息子と親子3人で、その夜は何時間も黙りこくったまま泣き続けた。

翌日、遺体は動物専用の斎場で火葬し、骨壺に入れて持って帰った。春がくるまでは、居間に安置しておくことにし、骨壺の傍らに遺影と線香立てと並べ仏壇に見立てた。遺影にはその1週間前に撮った写真をプリントした。遺影のときに書いたように、自分の父親の遺影には苦労したが、ビバスはいくらでも撮り置きの写真があった。

ビバスの名前はアメリカのTVアニメ「ビバス&バッドヘッド」に因んだもので、「いたずら者のお馬鹿さん」という意味でつけた。名前通りの性格の猫で、やることなすことがおかしかったから、おのずと写真を撮ることも多かったのである

家の中にいるときは、よく台所の食器棚の上で横になっていた。妻がサカナをさばき始めると、妻の背中に飛び降り、肩にしがみついたまま、サカナをねだった。外に出かけるときは、必ず生け垣やフェンスに身体をこすりつけるのだが、写真を見ると、後ろ足で立って前足で木の幹を抱えている姿がかわいらしい。冬になるとマンションの生け垣にやってくるメジロを捕まえて何度も家の中に持ち帰った。大型のヒヨドリをくわえてきたこともあった。このときは妻が「逃がして」と叫び声をあげるので、写真も撮らずに、ヒヨドリを奪い取って放してやったのだが、今でも思い出すたびに、ビバスには罪なことをしたと悔やまれる。

父親の葬儀と供養が一段落したあと、遺骨は郷里まで運んで、実家のすぐ前にある畑の片隅に埋葬した。墓標代わりに小さな石を置き、周りにグミとユキヤナギの苗木を植えた。それから5年の歳月が過ぎ、ユキヤナギは密生した枝に真っ白な花を咲かし、グミの木は人の背丈ほどに伸びて真っ赤な実をつけるようになった。

死んだ犬や猫の思い出はいつまでも飼い主につきまとう。喪失感が残された者の心を苛み続けるのである。昔から死んで間もない霊は荒魂(あらみたま)とか凶癘魂(きょうれいこん)と呼ばれ、生きている者に災いをもたらすと信じられてきた。それは人の死でも動物の死でもたいして変わらない気がする。

ペットは、家族の一人と変わらないかけがえのない存在である。というよりも、大げさな言い方をすれば、わが家のビバスは暴君の顔と乞食の顔をあわせ持つ「王様」だった。飼い猫の死は「王様」の死であり、私たちの王国は滅亡の危機に直面していたと言ってもいい。ビバスの思い出は忘れられなければならない。忘れるためには新しい「王様」が必要だと私には思われた。

新しく猫を飼うことにしたのは、ビバスの死から四十九日も経たないうちだった。罰あたりと言われかねないのでためらっていたが、思い切って話をしてみると、妻も息子もやはり同じようなことを考えていた。その週の土曜か日曜だったか、親子3人で近所のペットショップに出かけた。ビバスはロシアンブルーだったが、同じ種類だと思い出して辛いというので、ラグドールの子猫を手に入れた。

子猫には息子がサリーと名前をつけた。交通事故にあわないために、サリーは外に出さないようにした。しかし、そんなことは半年も続けられなかった。猫という種族は根っからのアンチ啓蒙主義者だ。人間が猫を飼うつもりが、そのうちに猫に人間が飼われることになる。ビバスが「王様」だったように、サリーも「女王様」になってしまった。

この「女王様」が最も迷惑なのは、明け方の4時になると外へ徘徊に出かけることだ。バリバリと爪で障子を破るのが、ガラス戸を開けろという意思表示である。ビバスの場合は障子でなく、オーディオのスピーカーだった。スピーカーは今でもボロボロになったままである。知らぬふりをしていると、枕元にやってきて、顔や手足をかじったり、髪の毛を引っかいたりする。叱ってもやめない。私も妻も眠たいから、最後は根負けしてしまう。冬の間は寒いから、外出中は閉めておくのだが、1時間もすると帰ってきて、ガラス戸をノックし、家の中に入れろと合図する。

そんな愚かな「女王様」の写真を息子は会社のパソコンでデスクトップの背景に使っている。気に入った写真を10カットほど用意して、時々入れ換えるのだという。私は私でパソコンの背景はやはりこの「女王様」の肖像にしている。サリーのいないわが家は淋し過ぎてもはや想像もつかない。自分では何一つできないくせに我がままにふるまうペットという「魔法使い」がいることで、家族のなかに会話が生まれ、夫婦や親子の親密な関係が保たれているからである。

(筆者プロフィール)
平嶋 彰彦
写真家、編集者。元毎日新聞社出版写真部長、ビジュアル編集室長。『宮本常一写真・日記集成』上下巻別巻1、『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻(いずれも毎日新聞社)の編集を担当。共著に『昭和二十年東京地図』(筑摩書房)『町の履歴書・神田を歩く』(毎日新聞社)などがある。