私がこの地に足を踏み入れたのは30年ほど前になる。アメリカ永住者という立場であった自分にはアメリカ社会そのものが未知の存在であり、その社会の存在を許している大自然の意味や魅力などを感じる余裕は当時の私にはとてもなかった。自然界に存在する生態系がお互いのバランスをとりながら共存するように、多くのものに助けられて社会の中で生きることを学んだが、2001年の同時多発テロ事件ですべてがかわった。それまで平和産業で生活を立て、公私での試練をやっと乗り越えたところに経済的なとどめをさされた思いがした。現実を強いられ途方に暮れた。そんなときに導かれるように引き込まれたのがアメリカ西部の大自然である。
ロッキーマウンテンの麓から、大山脈を越えて西に進むとどこまでも広がるコロラドプラトー(高原)がある。世界的に知られるグランドキャニオンやモニュメントバレーなどの国立公園や保護地域が多くあるとてつもないスペース。そして先住民文化にも染み込んでいる大自然の波動のようなものが、その多様性ある景観から感じられる。地質変動がもたらした隆起や亀裂、侵食による、恐ろしく、また美しい表情が訪れるものを魅了する。古代に散り積もった砂などが堆積して岩になり、太陽を浴びて侵食を受ける間に秘境と呼ばれる場所がいくつかつくられ、我々の興味を更にひきつける。自然環境の保護と観光開発、自然とのバランスと営利の社会構造という課題を抱えながらも、パリアキャニオンにあるコヨーテビュートは抽選による許可証発行で入山者制限をして保護を促す。そこを訪れる「選ばれた」ものたちはプライドに似た感覚を持ち、また責任感という誰もが持つ感覚に鋭敏に目覚め再認識する。写真撮影には美しすぎる被写体。一度訪れるとまた来たくなる感覚は、単にその美しさに感じるものが導いているのではなく、被写体とのつながりというものを我々が潜在的に切望しているからではないだろうか。
撮影データ: |
ペンタックスK-5IIs、SMC PENTAX DA*16-50㎜、F18、1/60 秒、ISO100、アメリカ、2013.2.15、三脚使用 |